長谷寺

   

港区西麻布2丁目21-34  地図

小森駿馬墓 会津藩。
一貫斎長男。
鳥羽伏見戦後、父・一貫斎は会津に帰り朱雀士中一番隊中隊頭として白河口、母成峠の守備と軍務に専念するに及び、馬術に秀でた駿馬は父の代役として容保の側用人を務めた。
戦後、猪苗代の謹慎所から東京に護送され、およそ1年半の謹慎生活の後、容保の嗣子容大が家名の再興を許されて斗南に移ることになると謹慎が解かれ、上北郡藤坂村に入居した。
明治6年(1873年)6月東京に移住。
明治44年(1911年)9月27日没。