団九郎

   

新潟市西区大学南1丁目333-3周辺  地図

佐藤一郎墓 慶応4年3月下旬、内野村から五十嵐浜にかけて金持ちの屋敷が相次いで強盗に襲われた。
3月30日には内野村の宿屋に宿泊中の5人の男が二階から金を撒き、取り方が出動する騒ぎとなった。
事件は酒屋の会津藩陣屋に報告され、翌4月1日には役人が来て、賊を団九郎砂崩の地で斬罪に処した。
首領の名は佐藤一郎と伝えられ、食い詰めた勤王派浪士であったと言われている。