永閑寺

   

見附市今町2丁目3-34  地図

戊辰戦役官軍本陣跡 今町は長岡城陥落後の西軍の防衛ラインの中核にあり交通の要衝であった。
長岡藩総督・河井継之助は今町攻略のために兵を三条に進めた。。
河井は全軍を三隊に分け山本帯刀の率いる一隊を本道からの攻撃部隊としたが、これは敵を欺くための陽動作戦であり、河井率いる本隊は刈谷田川東岸を南進し、別働隊と分離し対岸に渡河させ、今町を挟撃するという作戦を立てた。
明治元年6月2日、鬼木を出陣した山本隊は今町へ半里ほどの坂井神明社から砲撃を行って今町坂井口守備の高田藩兵を釘付けとし、河井率いる長岡藩兵、佐川官兵衛率いる朱雀士中四番隊、古屋佐久左衛門・今井信郎率いる衝鋒隊等が尾張藩兵守備の安田口から市街に突入、さらに別働隊が中之島から攻撃を加えたため、西軍は長岡方面へ撤退していった。
永閑寺は西軍の本陣となっていたが、今町攻略後は東軍の本陣となった。