藤原家墓地

   

東広島市西条町上三永88周辺  地図

藤原春鵲墓 広島藩。
幼少より父春徳の指導を受け、少年時代は頼 聿庵に師事。
のち長崎に行き池田玄彬に学び、特に種痘を研究して帰郷。
慶応2年(1866年)6月、第2次長州征伐の際、弟子を引率して藩庁に出張して傷病兵、被災民の治療に当る。
このころ郡奉行指揮のもとに従来の農兵とは別に臨時農兵隊(のちの応変隊)が編成されていたが、その屯営に出向して軍医長となっている。
しかし、神機隊関係の資料によると志和の神機隊残留部隊の役付の中に名があり、応変隊より転出したものと思われる。
明治6年(1873年)上三永村に小学校を創設、その経費の過半を負担している。
明治17年(1884年)その徳行、孝義に対し緑綬褒章が贈られている。
明治29年(1896年)10月23日没。
享年67歳。