二股口古戦場

   

北斗市村山周辺  地図

二股口古戦場 五稜郭奪還を目指す西軍は江差方面から上陸し、江差山道を通過するのは十分想定された。
したがって東軍は山沿いに散兵壕や台場を築き、下二股川の挟んで反攻を防ぐ作戦にでた。
明治2年西軍は予想通り乙部・江差から上陸した約600人が山道を通った。
一方、東軍の土方歳三を隊長とする約300人は台場山へ砲台も築き、二股口で待ち構えていた。
4月13日に西軍は対岸にたどり着き戦闘が開始された。
川を渡り天然の要塞である二股口を突破を試みるが、土方隊の発砲で押し返された。
土方隊は突破を許さずに防戦していたが、海岸線の矢不来の戦いで東軍が敗れ、背後を遮断される恐れが生じたため、5月1日に陣地を放棄して五稜郭へ退却した。
佐藤安之助墓 薩摩藩。
要之助、弥之助とも。
伊集院宗次郎隊軍夫。
弘前藩領駒越村の農。
明治2年4月24日蝦夷二股で戦死。
42歳。
新政府軍陣地跡 この戦いでの西軍の陣地跡。