祇園寺

   

水戸市八幡町11-69  地図

水戸藩4名墓 市川主計・・・三左衛門の長男。200石5人扶持。小姓頭。明治元年9月水戸で殺害。
市川三左衛門・・・500石。要職歴任後家老。元治元年(1864年)以来諸生党の首領として筑波勢を弾圧、交戦。
明治元年10月敗走、潜伏。明治2年4月東京で捕えられ、同3日水戸城外長岡原で逆磔の極刑に処せられた。54歳。
市川秀五郎・・・明治元年水戸赤沼で獄死。
市川安三郎・・・弘道館で戦死。幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。
太田源五郎墓 水戸藩。
30両2人扶持。
小姓。
明治元年10月1日水戸で戦死。
朝比奈弥太郎墓 水戸藩。
1300石。
家老。
市川三左衛門らと諸生党を指揮、元治元年(1864年)筑波党を征討した。
明治元年10月6日下総八日市場で戦死。
諸生党殉難碑 水戸藩の保守・門閥派である諸生党の慰霊碑。
戊辰戦争では越後や会津を転戦した。
明治元年9月22日に会津藩が降伏すると、諸生党は長岡藩兵や回天隊などと合流して、会津藩領を脱し、水戸城を目指す。
9月27日、片府田で大田原藩兵、彦根藩兵などと交戦し6名の戦死者を出し退く。
更に佐良土にて黒羽藩兵と交戦し11名が戦死した。
9月29日に水戸城下に到着するも、水戸城の守りは堅く三の丸にあった藩校弘道館を占拠して立て籠もる。
これに対して天狗党軍は10月1日に攻撃を開始。
双方約90名の戦死者を出し、翌2日夜に退却し玉造、潮来を経て10月4日に銚子において小見川藩兵と高崎藩兵の攻撃を受け敗走、10月6日、八日市場に逃れたが天狗党軍の追撃を受け、松山村にて朝比奈弥太郎以下、多数の戦死者を出して壊滅した。
この碑は昭和9年(1934年)に、天狗党軍として諸生党と戦った貴族院議員・室田義文翁の後援によって建てられた。