祥雲寺

   

渋谷区広尾5丁目1-21  地図

藩難九志士之墓 明治2年、吹上藩の戊辰戦争における戦死者遺族への手当てを3人の家老が藩主を欺き横領したとして殺傷した吹上藩残奸事件により処分された9人の合葬墓。
9人のうち8人は家名存続のうえ切腹だったが、吹上村組頭鈴木政右衛門は平民のため斬首された。
荒井郁之助墓 幕府軍。
天保7年(1836年)4月29日江戸にて幕府御家人荒井清兵衛の長男として生まれる。
20歳で幕府に出仕し、蘭学を修めた後、軍艦操練所教授を命じられた。
文久2年(1862年)9月には軍艦操練所頭取に就任、松平春嶽や徳川慶喜ら要人を船で大坂まで送るなど重役を果たしていたが、元治元年(1864年)4月に講武所頭取を命じられたため海軍職を一時離れる。
慶応元年(1865年)歩兵差図役頭取となり、大鳥圭介と共にフランス式軍事伝習を受け、慶応3年(1867年)5月には歩兵頭並に昇進した。
明治元年1月に軍艦頭を命じられて海軍職に復帰、海軍総裁榎本武揚らと共に江戸を脱出し箱館戦争に参戦する。
箱館政権下では海軍奉行となり、宮古湾海戦および箱館湾海戦に奮闘する。
降伏後は死刑を免れて開拓使の役人として出仕し、明治9年(1876年)6月に辞任して開拓使仮学校・女学校校長を勤める。
明治23年(1890年)には初代中央気象台長に就任。
明治27年(1894年)従五位を賜る。
明治42年(1909年)7月19日没。
享年74歳。
荒井君碑