蛭ケ窪墓地

   

会津美里町字寺ノ前甲4370-3周辺  地図

岸 清兵衛墓 会津藩。
5石2人扶持。
新領別楯隊寄合組萱野隊。
明治元年8月1日越後赤坂山で戦死。
55歳。
会津藩2名墓 遠藤虎之助・・・5石2人扶持。明治元年8月1日越後石間口で傷、24日中村で死。41歳。
遠藤平太・・・虎之助長男。嘉永6年(1853年)3月18日生まれ。戊辰戦争では本郷の人ら36人と共に血書嘆願して越後口の戦いに参戦。
越後水原奉行萱野右兵衛の対に編入され越後各地を転戦。
8月1日の赤坂山の戦闘で父・虎之助が左腕に貫通銃創を受け、応急処置後に8月10日若松に到着。
日新館に設けられた軍事病院で松本良順らによる上腕切断手術を受け、平太は近郊の親戚宅まで父を運ぶが、24日に父は発狂状態で死去。
戦後は製陶業に従事し、村会議員を経て本郷村の初代村長となる。
昭和5年(1930年)7月8日没。
享年78歳。
吉川喜右衛門墓 会津藩。
秀蔵父。
明治元年9月4日会津本郷で戦死。
73歳(69歳とも)。
吉川秀蔵墓 会津藩。
4石5斗2人扶持。
瓦師次番格。
明治元年9月4日会津本郷で戦死。
37歳(38歳とも)。
安西助十郎墓 会津藩。
負傷後、明治元年12月24日死。
46歳。
水野多門墓 会津藩。
会津本郷焼の祖、水野瀬戸右衛門家の10代目。
白虎寄合二番隊。
越後方面へ出陣し、後若松城三ノ丸の守備に当たる。
降伏後は猪苗代にて謹慎。
後に陶祖水野家10代目を継いで窯銘の泉栄軒工場を経営した。
その後も陶磁器の改良と増産に尽力し、明治27年(1894年)には本郷村陶磁器組合の総代となり、明治38年(1905年)には会津陶磁器組合長となった。
大沼郡会議員も努めた。
大正6年(1917年)10月11日没。
享年66歳