市川邸跡

   

加茂市本町2-1  地図

市川家顕彰碑 幕末から近代にかけ加茂郷一帯の大庄屋・地主である市川家は、豪農・豪商として近隣の経済界に大きな恩恵をもたらした。
戊辰戦争では会津藩の宿陣地となり、事実上の奥羽越列藩同盟の本営となった。
この本営で明治元年5月22日と23日に東軍の各藩代表による加茂軍議が開かれた。
この軍議は北越戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた。
長岡落城後、西軍を越後から追い出すことをめざす長岡藩総督河井継之助は、会津、米沢、桑名、村上、村松、上山の各藩と旧幕府の諸将とはかって長岡城の奪還を期すことを決めた。