新地町今泉字鹿野53 地図
戦死塚 | 新地は、戊辰戦役における仙台藩と西軍の最後の戦場となった。 仙台藩は駒ヶ嶺城を中心として、山手は、菅谷、高田から丸森の旗巻峠、浜手は今泉今神方面一帯に警備を固めた。 戦闘は明治元年8月7日より行われたが、西軍の激しい攻撃にあえなく敗れ、11日には拠点の駒ヶ嶺城が陥落した。 その後、反抗作戦が行われ、とくに、浜手の亘理隊と松山隊は、積極的に前進し、戦いを展開した。 しかし、折からの俄か雨と西軍の激しい逆襲のため敗勢となり、今泉周辺において多くの死傷者を出した。 近くの御殿岬では、退路を断たれた松山隊員が、壮烈な戦死を遂げている。 |