板室古戦場

   

那須塩原市板室30-1周辺  地図

戦死供養塔 明治元年閏4月22日の板室の戦いは、午前が阿久戸、午後が板室本村で戦われた。
阿久戸の戦いでは、那珂川を挟む河岸段丘上に両軍が対峙し砲撃戦となったが、西軍は迂回部隊を送り側面からの攻撃を開始した。
不意をつかれた東軍は混乱に陥り、その間隙を縫って西軍は渡河し、阿久戸坂上の台地で激しい戦闘となった。
東軍は20名以上の戦死者を出し板室に後退していったと推測される。
17名を祀った供養塔は地元民25名が出資し、明治27年(1894年)4月22日の27回忌に建てられたものであるが、「左いたむろ、右ろくとち」と刻まれており、道標も兼ねた珍しい供養塔である。