宇都宮市塙田1丁目3-3 地図
斎田権兵衛墓 | 宇都宮藩。 武具奉行。 明治元年6月26日下野藤原村で戦死。 46歳。 |
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安形靱負太郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年6月26日下野藤原村で戦死。 18歳。 |
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彦坂孝次郎墓 | 宇都宮藩。 孝二郎とも。 明治元年8月30日会津倉谷村で戦死。 22歳。 |
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大沢富三郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月1日会津大内峠で戦死。 42歳。 |
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藤代信蔵墓 | 宇都宮藩。 星野姓も。 明治元年9月2日会津関山村で戦死。 18歳。 |
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間瀬半八郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月1日会津大内峠で傷、4日死。 29歳。 |
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内田銀太郎墓 | 宇都宮藩。 明治元年9月2日会津火玉峠で傷、26日死。 41歳。 |
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縣 信緝墓 | 宇都宮藩。家老。 文政6年(1823年)、宇都宮藩家老の家に生まれた。 21歳の時、脱藩して江戸の儒者大橋訥菴の塾で学ぶ。 安政3年(1856年)帰郷して勘定奉行雇となり、頭角を現す。 尊皇攘夷の立場から坂下門外の変で連累者の赦免活動、山陵修補事業の推進、天狗党への応対に関わり、時には家老職解任の憂き目にもあった。 戊辰戦争時には藩論を新政府支持でまとめ、落城後は奪回と領民救済に奔走した。 維新後は宇都宮藩権大参事、司法省少判事を歴任。 明治14年(1881年)没。 |
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