陳ヶ峯峠陣跡

   

西会津町新郷大字冨士陳ヶ峯周辺  地図

陳ヶ峯峠陣跡 明治元年9月1日、東軍の大鳥圭介は、越後口へ行くよう会津藩から要請され、塩川を出発。
2日後には『若松記』に「大鳥圭介隊ハ陳ヶ峯下、大谷村通行之山道峠ヘ陣取、遊撃隊ハ舘ノ原村ニ陣取居候処」と、この峠に陣取る。
大鳥圭介の『南柯紀行』には「長岡の兵隊と共に木曽を発し山に登り、村落を過ぎ陳ヶ峯と伝える嶺上に至りし処、敵軍既に嶺西至りて先に出し、会兵と戦争ありし由なり。因て第一大隊の兵を本道に出し、第二大隊は間道より左の山に登り、其の後撃たんとす。」と布陣の様子が書かれている。
この時、斎藤 一を隊長とする新選組13名は、大鳥軍と共に行動し戦った。
頂上には、東西240m、南北200mの範囲に会津藩陣跡がある。長州藩が攻めて来た西会津町小清水を向いて、平場の段々が造られている。
平場は5mから10mの大きさだが、北側のものは25mの長さがあり、柵列や建物があった。