東善寺

   

高崎市倉渕町権田169  地図

小栗上野介供養墓 幕臣。
2700石。
万延元年(1860年)渡米。
外国奉行、勘定奉行、海軍奉行、陸軍奉行など。
フランスと結び製鉄所を建設。
明治元年抗戦論を唱えて容れられず知行地権田村に隠退。
閏4月6日同地で捕えられ、斬。
42歳。
荒川祐蔵墓 江戸からの家臣。
上野介随員として渡米。
上野介に従って権田に移る。
明治元年閏4月6日上野介とともに斬首される。
36歳。
大井礒十郎墓 小栗家歩兵。
権田村の出身。
明治元年閏4月6日上野介とともに斬首される。
渡辺太三郎墓 江戸からの家臣。
上野介に従って権田に移る。
明治元年閏4月6日上野介とともに斬首される。
20歳。
小栗又一墓 小栗上野介養子。
西軍より謀反の疑いをかけられた上野介の申し開きのため家臣6名とともに高崎に向かったが明治元年閏4月4日高崎の石上寺に幽閉され、何の取り調べもないまま閏4月7日に斬首された。
21歳。
沓掛藤五郎墓 江戸からの家臣。
上野介に従って権田に移る。
明治元年閏4月7日高崎で又一とともに斬首される。
25歳。
多田金之助墓 江戸からの家臣。
上野介に従って権田に移る。
明治元年閏4月7日高崎で又一とともに斬首される。
20歳。
塚本真彦墓 江戸からの家臣。
上野介随員として渡米。
上野介に従って権田に移る。
明治元年閏4月7日高崎で又一とともに斬首される。
37歳。
塚本チカ墓 塚本真彦娘。
明治元年閏4月8日地蔵峠付近の山中で祖母マキとともに自害。
7歳位。
塚本マキ墓 塚本真彦母。
明治元年閏4月8日地蔵峠付近の山中で孫チカとともに自害。
塚越富五郎墓 小栗上野介家来。
上野権田村の農家の産。
小栗上野介が権田村に隠棲後家臣として加えられた。
富五郎は上野介夫人道子らの権田村脱出にあたりその護衛隊員として信濃、越後、会津へと辿り着いた。
戊辰戦争中、朱雀四番町野隊附属誠志隊に属して各地に転戦。
明治元年9月1日戦死。
23歳。
佐藤銀十郎墓 小栗上野介家来。
上野権田村出身。
小栗歩兵の一人で築地講武所でフランス式陸軍の訓練を受ける。
小栗上野介が権田村に移って3日目に暴徒に襲われたとき、機敏な活躍をして中小姓格に取り立てられる。
戊辰戦争中、朱雀四番町野隊附属誠志隊に属して各地に転戦。
明治元年9月11日会津熊倉で戦死。
21歳。
小栗父子本墓 上野介の首は高崎の法輪寺に埋葬された。
斬首から1年後の明治2年早春、村人たちは主の首が遠くに離れたことを憂い、一周忌が近いので墓石を建てたいとの触れ込みで、埋葬場所を確かめ盗掘に成功し、胴体と一緒に埋葬された。
小栗家家臣3名墓 小栗父子本墓の傍らに建つ。
小栗上野介首級埋葬処碑 昭和34年(1959年)4月6日建立。