黒羽招魂社

   

大田原市黒羽田町491-2周辺  地図

高橋長雄戦死之碑 黒羽藩。
鹿之助とも。
小隊長。
明治元年9月14日若松城下で戦死。
35歳。
地山三田翁碑 黒羽藩。
文化8年(1811年)黒羽藩士秋庭清房に生まれ、三田政武の養子となる。
天保2年(1831年)江戸勤番のとき安積艮斎の門人として朱子学を学び、天保5年(1834年)藩主増儀が大坂加番の時、大塩平八郎の門人として陽明学を学ぶ。
天保11年(1840年)には郡奉行等になり藩政に関与した。
安政2年(1855年)に下ノ庄(芳賀郡益子)郡奉行に着任し、益子窯業隆盛の土台を築き、自らも「称平徳利」を創案し愛用した。
地山は知識人として時局を静観し、戊辰戦争時は政局を洞察した開明的な為政者であった。
明治元年白石城において奥羽越列藩同盟に大義を説き、黒羽藩の加入を拒んだ。
帰藩後勤王に力をつくすべきことを進言して、藩論を統一させた。
維新後、権大参事となり、また私塾地山堂を開き、門下生に教授した。
明治26年(1893年)没。