葛岡墓園

   

仙台市青葉区郷六字葛岡42-1  地図

下田勇治墓 仙台藩。
富田哲之助指揮。
明治元年7月13日磐城平城で戦死。
20歳。

見瑞寺墓地内。
富田哲之輔墓 仙台藩。
哲之助とも。
小隊長。
明治元年7月13日磐城平城で戦死。

妙心院墓地内。
浜田源五郎墓 仙台藩。
卒。
明治元年9月10日磐城椎木山で戦死。
28歳。

妙心院墓地内。
但木土佐墓 仙台藩。
1500石。
奉行として藩財政再建などに成功。
明治元年会津・庄内救済のため奥羽越列藩同盟を推進。
戦犯として同年9月東京へ護送され、明治2年5月19日斬。
53歳。

愚鈍院墓地内。
但木成行招魂碑
真田喜平太墓 仙台藩。
350石。
鳥羽伏見開戦後、参政を命じられ800石に加増される。
仙台一藩にて会津征討の勅命により出兵。4月土湯峠にて討会開戦。
この会津藩との戦争は密約があり空砲で撃ち合う予定であったのが、討会論者の真田が現場に現れたため、急遽実弾での撃ち合いとなってしまい、会津藩の不信感を煽る。
閏4月20日、世良修蔵が暗殺されると聞くや、真田は命を待たず帰国。奥羽越列藩同盟が東征総督府への攻守同盟へと変化したことに激怒し、職を辞し自宅に引き篭もってしまう。
6月、白河を奪還しあぐねる藩は真田の復帰を懇願し渋々復帰。
明治10年(1877年)、西南の役が起こると、宮城県旧士族として700名の召募巡査の総長を拝命するも、辞して奉ぜず。
明治20年(1887年)10月16日没。享年64歳。
成覚寺墓地内。