耳取古戦場

   

横手市大雄字傾城塚82-3周辺  地図

耳取古戦場 大雄地区に侵入した東軍は潤井野から耳取を通り、明治元年8月11日正午頃に田村新町の秋田藩伝馬役所を占拠して休息した。
角間川に駐屯していた秋田藩兵は同日早朝に出発して浅舞へ進撃中であり、精兵村で昼食を取って八柏に向かったところで東軍の動きを察知した。
陣容を整えて引き返してきた秋田藩兵300余人は現在の折橋の忠魂碑の東北方に大砲を据え、午後4時半頃から新町の伝馬役所にいた東軍に向けて砲撃を開始した。
東軍約300名ははじめ善兵衛堰に入って身を隠しながら応戦したが、秋田藩兵が肉薄したためいったん後退し、傾城塚周辺で激しい白兵戦となった。
夕刻には秋田藩兵は角間川に退却し、東軍は折橋・耳取・四ツ屋の民家に火を放ちながら横手方面に退却した。