元町

   

見附市元町1丁目7-51周辺  地図

村山半牧自決の地 村山半牧は文政11年(1828年)小須戸に生まれ、三条で育ったといわれている(三条出生の説もある)。
通称秀一郎という。
若くして画を長谷川嵐渓に学び、各地に遊んで画家として名をなすが、京都では藤本鉄石や山中静逸らと親交を持ち、勤王の志を深くする。
鉄石が大和で兵を挙げ、事ならずして死んだ後は半牧も幕府の追捕を受ける身となり、秘かに帰郷して同志と往来、尊王攘夷を論じ、戊辰戦争が起こると北越鎮撫の策を立て活動した。
しかし、長岡城が陥落した後は、東軍から追われる身となり、同志の雛田松渓、小柳春堤らが捕らえられると、半牧は見附元町の庄屋近藤家に潜伏していたが、半牧の実弟・善次郎がもたらした松渓らが処刑されたとの誤報を信じ、明治元年6月14日早朝、この地にて自決して果てた。
享年41歳。