宝光寺

   

村上市羽黒町2-23  地図

進藤多吉墓 村上藩。
明治元年8月7日越後与板で戦死。
八幡万里之助墓 村上藩。
明治元年9月16日越後関川で戦死。
浅井土左衛門墓 村上藩。
小隊長。
明治元年越後関川口で捕、斬。
鳥居三十郎墓 村上藩家老。
村上藩は奥羽越列藩同盟に参加するも、8月11日村上に西軍が接近。
藩論は抗戦か帰順か統一できなかったが、三十郎は抗戦派藩士約200名を率いて村上を脱出、庄内を目指した。
やがて福井藩兵を先鋒とする西軍が村上に到着、帰順派藩士は西軍の詰所に出頭して降伏した。
村上から退去した三十郎らは庄内藩兵と合流し、羽越国境の鼠ヶ関で共同戦線を張った。
一方、西軍に帰順した村上藩士達は西軍の一員として鼠ヶ関に出陣し羽越国境で村上藩士同士が戦うという事態が発生している。
戦後、三十郎は戦犯として東京に送られ、取調べの後に死罪が言い渡された。
やがて処刑のために身柄は村上に送られ安泰寺に幽閉された。
明治2年6月25日、村上藩は斬首という政府の命令を無視して安泰寺に切腹の場をもうけ、抗戦派藩士として三十郎とともに戦った山口生四郎が介錯をつとめた。
享年29歳。
島田鉄弥墓 村上藩。
明治元年東軍に属し転戦。
明治2年6月20日旧恭順派の江坂与兵衛を暗殺。
官の探索が迫ってきた明治3年(1870年)1月19日自刃。
享年21歳。