梨ノ木峠

   

古戦場:胎内市須巻561周辺  地図
百  塚:胎内市小長谷232-33周辺
米沢様:胎内市坪穴1022-1周辺

梨ノ木峠古戦場 明治元年8月9日西軍は三日市から本道軍と間道軍の二手に分かれ北進を開始。
本道軍は先鋒の新発田藩・広島藩が花立付近の東軍を急襲し、東軍は花立に放火し、隣村の貝付に退却した。
一方、間道軍は胎内川右岸の坪穴と夏井付近の米沢藩を攻撃。
米沢藩は退却したが、一部は梨ノ木峠に布陣し退却してくる友軍を収容した。
これを察知した西軍は、第二線にいた薩摩藩・長州藩がこれを攻撃。
東軍は薩摩藩・長州藩が左右の丘陵に展開するのを見て戦わずして退却した。
百塚 梨ノ木峠の戦いの戦死者の死体を大長谷村の人達が埋葬し供養してきた。
米沢様 この地で戦死した米沢藩兵を供養するため、またはこの地が戦死者を火葬した場所でありその霊を供養するためという二つの由来がある。