日光社

   

長岡市富島町224  地図

鬼頭熊次郎碑 長岡藩。
銃卒。
明治元年7月25日越後長岡新町村で戦死。

家族の多い鬼頭家の家計を助けるために、山仕事や八丁沖での漁労に従事する日々を送っていた。
この時、42歳。
長年の重労働で足が内側に曲がっていたという。
八丁沖横断作戦を立案した河井継之助は、沼を熟知した熊次郎に望みを託した。
熊次郎は魚捕りの仲間と四夜をかけて、沼の深い場所には板橋を渡すなどして、八丁沖の真ん中を北から南へ貫く4キロの攻撃路を構築した。
作戦当日、熊次郎は銃を持っていたが、河井の発砲禁止の命令を守って発砲せず、銃撃に倒れた。
その遺体は翌日、兄嫁が曲がった足によって確認したという。
大正5年(1916年)4月建立。
中川文蔵戦死地碑 長岡藩。
銃士。
明治元年7月25日越後富島村で戦死。