丹羽むら共同墓地

   

せたな町北檜山区丹羽360周辺  地図

丹羽五郎墓 会津藩。
嘉永5年(1852年)3月14日会津藩重臣丹羽家の分家に生まれる。
父の丹羽 族は戊辰戦争にて越後口八十里越方面の食糧総督として自刃した。
丹羽家は本家に男子がいなかったため養子として跡を継ぐ。
戊辰戦争では松平喜徳の側近くで仕えたが、一族40名以上を失い、従兄弟の有賀織之助、永瀬雄次は白虎隊士として自刃した。
戦後は邏卒として警視庁入りし、西南戦争に従軍し抜刀隊に選抜され田原坂の戦いで奮戦する。
戦後は神田和泉橋警察署長まで昇進するが、北海道開拓の志を抱き、明治24年(1891年)依願免官となり、瀬棚郡瀬棚村、利別原野の開拓願いを許され、猪苗代千里村の住人12戸と北海道に渡り開墾を始め、翌々年には猪苗代からさらに18戸が移住した。
明治35年(1902年)には宮城、会津から55戸が、明治40年(1907年)には会津から30戸が移住した。
大正2年(1913年)には、開拓農地1000余町、276戸1380余人入植の功績を認められ藍綬褒章を受章した。
昭和3年(1928年)9月6日没。
76歳。