大村益次郎墓所

   

山口市鋳銭司3502  地図

大村益次郎墓 長州藩。
文政8年(1825年)5月3日に鋳銭司村の村医村田孝益の長男として生まれる。
天保13年(1842年)防府にて梅田幽斎に蘭方医学・蘭学を学ぶ。
弘化3年(1846年)大坂に出て緒方洪庵の適塾で学ぶ。適塾在籍中に長崎の奥山静叔のもとへ一年間遊学し、その後帰坂、適塾の塾頭まで進む。
嘉永3年(1850年)帰郷し、四辻で開業して村医になり、村田良庵を名乗った。
元治元年(1864年)兵学校教授役となり、山口明倫館での西洋兵学の講義を行う。一方で語学力を買われ四国連合艦隊下関砲撃事件の後始末のため外人応接掛に任命され下関に出張している。
慶応元年(1865年)閏5月6日に大組御譜代となり100石を支給され藩士となり、年末に大村益次郎と名乗る。
戊辰戦争では、江戸市中の治安維持の権限を勝 海舟より委譲され、江戸府知事兼任となり、市中の全警察権を収め、5月15日に上野戦争において彰義隊をわずか1日で鎮圧する。
以降は、事実上の新政府軍総司令官として江戸で指揮を執った。
明治2年(1869年)9月4日夕刻、京都三条木屋町上ルの旅館で、長州藩大隊指令の静間彦太郎、伏見兵学寮教師の安達幸之助らと会食中に、元長州藩士の団 伸二郎、神代直人ら8人の刺客に襲われ、静間と安達は死亡、益次郎も重傷を負い、11月5日に死去した。
享年45歳。
贈従三位。
大村公神道之碑