女石

   

戦没之碑:白河市女石81周辺  地図
志げの碑:白河市萱根西ノ内53-3周辺

仙台藩士戊辰戦没之碑 白河で戦死した仙台藩150余名の慰霊碑。
明治23年(1890年)5月1日建立。
戦死供養塔 明治元年5月1日から7月17日まで、田町、向寺、根田、大谷地、金勝寺、飯沢、長坂等においての仙台藩戦死者の屍を集めて、明治2年地元有志らによって建立された。
無名戦死ノ碑 昭和29年(1954年)の道路改修の時に、付近の草むらから一体の人骨が発見され検討の結果、白河戦争時にこの付近で負傷し、草むらに潜伏しそのまま死亡した兵士のものと推測された。
昭和30年(1955年)3月建立。
遊女志げ女の碑 白河の遊女。
越後三条の生まれで、幼少の頃白河に来て坂田屋に育てられた。
明治元年閏4月9日、白河城に入城した世良修蔵は坂田屋にて志げと遊んだ。
のちに、この地が危険と察した世良は閏4月18日に白河を脱した。
このことから世良をつけ狙っていた旧会津藩士某は志げを憎み、明治2年1月25日に志げを殺害した。享年22歳。
これを知った坂田屋の下男がこの地にて某を殺害し、仇を討った。
昭和29年(1954年)9月建立。
関門の趾 白河戦争時の西軍の関門跡。
昭和29年(1954年)6月建立。