押上

   

さくら市押上963周辺  地図

戦死二人祭 慶応四年四月、江戸脱走の幕兵は野州各地で激戦して会津に向う。
負傷して道に迷った二人の幕兵は押上村で村人に殺害された。
その後、洪水・疫病(コレラ)等が相つぎこれは二人の怨霊と恐れ、村人のなかには忘霊と誤ってこの碑に切りつけたりした。
時は流れ百十余年。いつしかこの惨事は忘れられ古碑も路傍に消滅寸前となり、有志一同深く憂いて近傍に安置し、その由来を刻み異境に散華した幕兵二人の鎮魂慰霊とす。願わくはこの善根によって当地に和平安穏をもたらされんこと。                  合掌

戦死二人祭の碑由来原文まま。

『明治百年野州外史』には、森井善三郎と酒井三郎兵衛となっているが、幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。