龍谷院

   

石巻市長面字三本倉53  地図

羽生玄栄碑 仙台藩。
登米伊達家御次医師筆頭。
桑名藩士大沢因幡の子で、17歳の説き江戸へ出て西洋医学を学び、天保15年(1844年)に登米伊達家医師の羽生玄探の養子となり、翌年登米領主の藩医に迎えられた。
文久2年(1862年)京都探索方を命じられ、8月ひそかに京に発ち、諸藩の士と交流し情報を得て、藩主慶邦に仙台藩の歩むべき道・攘夷の節を建言した。
戊辰戦争では、仙台藩の会津攻めに反対で、征討に踏み切ったことに驚いたが、但木土佐には攻撃を始めることで会津に恭順を示させる意図があった。
維新後は新政府の逮捕から逃れ、桃生郡十五濱村長面浜に身を隠し、文墨に独り楽しみ、また長面の青少年を指導し種々の面で指導的立場にあった。
明治33年(1900年)没。
享年78歳。