三本松古戦場

   

本営地:金山町大字金山818-2周辺  地図
戦歿之碑:金山町大字金山1800周辺

仙台藩本営地 明治元年7月11日、長州藩の桂太郎隊が北の森合峠から、薩摩藩を主力とする一隊が、東の有屋峠を越え相応じて仙台藩を主力とする同盟軍を攻めた。
ここで、新庄藩が寝返り背後より挟撃。
仙台藩は総崩れとなり、今の十日町あたりで重傷を負った藩将・梁川播磨は橋を渡り、馬を下りて辿り着いたこの地、森合峠の麓において薩長の兵に襲われ負傷し、五十嵐岱助と刺し違えて死。
仙台藩は梁川播磨以下33名が戦死した。
梁川播磨戦死之地 仙台藩。
一家格。
栗原郡鶯沢邑主。
300石。
明治元年七番大隊長として出陣、7月11日羽前金山で傷、軍監五十嵐岱助と刺し違えて死。
37歳。
梁川播磨歌碑
 積む雪に 通路たへて おのずから うき世をへだつ 冬の山里
仙台藩士戊辰戦歿之碑 旧仙台藩有志によって明治25年(1892年)に建立された。
早坂弥七郎墓 仙台藩。
梁川播磨大隊使番。
明治元年7月11日羽前金山で戦死。
仙台藩士戦死之墓 被葬者不明。