三斗小屋

   

那須塩原市板室910周辺  地図

戊辰戦死若干墓 三斗小屋宿は黒羽藩領であったにも関わらず、同藩兵による略奪と民間人虐殺は恨みの的となった。
「黒羽藩士等ノ蒙昧野蛮ノ惨酷ナル行動ニ驚カザルモノアランヤ(中略)野蛮的行為ノ仕跡見ルモ聞クモ実ニ痛恨極リナシ」(田代音吉『三斗小屋誌』)と永く語り継がれた。
宿の屋号に「会津屋」「三春屋」が見られるなど、会津との関係が深いと思われていたからだろう。
それに対して宿民は、明治13年(1880年)「戊辰戦死若干墓」を建てた。
大金平介と高根澤藤左衛門の2名の世話人の名が刻まれ、裏面には「戊辰戦死者十三年忌供養」とある。
会津藩兵10数名の墓である。