西軍上陸の地

   

長岡市中島1丁目10-16周辺  地図

明治戊辰戦蹟顕彰碑 明治元年5月19日早朝、梅雨の大雨で増水した信濃川を三好軍太郎率いる長州藩が7隻の小舟で朝霧の中を渡河。
上陸部隊の砲声に呼応して、すぐ下流から薩摩藩が渡河。
その後を高田藩、金沢藩が続き、西軍は市街地になだれ込んだ。
長岡藩は主力を榎峠・朝日山に置き、城の守りは手薄だったうえに、村松藩兵が動揺して、退却してくる味方を銃撃したため「村松藩、裏切り」との声があがって、混乱に拍車がかかり持ちこたえられず、長岡藩軍は昼前には城に火を放ち栃尾方面へ総退却した。

西軍が上陸した信濃川の河畔にあったが、河川改修工事に伴って、信濃川から約200メートル離れた現在地に移転された。
東西両軍戦死者之墓 この戦いで戦死した、東西両軍戦死者の墓。
長岡藩4名墓 大川角太夫・・・銃卒。明治元年5月19日長岡城下で戦死。
小川多忠太・・・銃卒。明治元年5月19日長岡城下で戦死。
加藤角七・・・銃卒。明治元年5月19日長岡城下で戦死。
森山重五右衛門・・・銃卒。明治元年5月19日長岡城下で戦死。
渡辺駒次墓 長岡藩。
銃卒。
明治元年5月19日長岡城下で戦死。