法華寺

   

新発田市中央町1丁目4-10  地図

窪田平兵衛墓 新発田藩。
江戸詰家老。
大政奉還後、朝廷は列侯会議を開くため、10万石以上の諸大名に上洛を命じた。
これに応じた藩は多くはなかったが、新発田藩は平兵衛を幼君の名代として京都に派遣し、刻々変わる天下の情勢を逐一藩に報告したことが、戊辰戦争時に西軍側に味方する原動力となった。
明治12年(1879年)没。