阿弥陀寺

   

喜多方市塩川町字反町925  地図

明治戊辰戦死供養塔 会津藩10名、長岡藩4名、水戸藩、桑名藩、兵庫藩各1名の供養塔。
阿弥陀寺三十五世説誉法詮代および塩川町中町の赤城源右衛門により明治26年(1893年)7月6日建立。
会津藩2名墓 星 精蔵・・・俊吾伜。27石4人扶持。朱雀士中二番田中隊。明治元年8月29日若松長命寺で戦死。34歳。
星 万吾・・・精蔵伜。明治元年9月会津山三郷赤岩村で自刃。祖父俊吾介錯。12歳。
星 研堂墓 会津藩。
書家。
通称は俊吾。
文政2年(1819年)家督相続。
書を内田近明、加須屋時鳴に学ぶ。
祐筆と日新館の瀧本流華様の師範を兼ね、『草書格』を著す。
戊辰戦争では山三郷方面へ出陣。
赤岩村で孫の万吾を介錯したと伝えられる。
戦後は塩川村で子弟を教育。
明治2年12月25日旧代官所で没。
享年76歳。
三本住庵墓 塩川の町医者。
飯盛山で自刃し瀕死の重傷を負った飯沼貞吉を介抱した。
明治24年(1891年)没。