四稜郭跡

   

函館市陣川町59周辺  地図

四稜郭跡 明治2年に五稜郭の背後を固めるため北方3キロのこの地に東軍によって築城された。
四稜郭は蝶が羽を広げたような形で、周囲に土塁と空濠をめぐらし、郭内には四隅に砲座を設けたが、建物は作らなかった。
地元の言い伝えによると、東軍は士卒約200名と付近の村民約100名を動員して、昼夜兼行で数日のうちに完成させたと言われている。
明治2年5月11日未明、西軍の岡山藩と徳山藩の藩兵が四稜郭の攻撃を開始。
松岡四郎次郎率いる東軍は四稜郭の防御に努めたが、西軍に福山藩兵も加わり、さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため、退路を断たれることを恐れた東軍は五稜郭へと敗走した。