秀林寺

   

仙台市青葉区北山1丁目3-1  地図

大槻安広墓 仙台藩。
戊辰戦争では、軍目付として白河口に出陣。
西軍参謀世良修蔵を田辺覧吉、小栗大三郎らと謀り処刑する。
田辺は自刃、小栗は失踪したのに対し、大槻は検司という立場から一時捕縛され糾問を受けるが、申立が明確であったため赦されて仙台へ帰った。
明治2年芋沢村に転居し、以後は殖産に力を注ぎ、開墾や植林事業に従事するようになった。
明治17年(1884年)宮城郡郷六村外六ヶ村の戸長に推され、植林事業の奨励に努め、後に県会議員に選出される。
明治31年(1898年)8月20日没。
享年62歳。
荒井宣行墓 仙台藩。
戊辰戦争では額兵隊の頭取・裁判役を務め、仙台藩降伏後は箱館へ渡る。
蝦夷地上陸時、額兵隊が土方歳三の配下となったため出陣して松前攻めに活躍。
蝦夷地平定後は大野村を守備して、明治2年4月より決戦を開始すると木古内口に出兵して徹底抗戦を続けた。
しかしついに敗走となり、箱館総攻撃では千代ヶ岡陣屋に出陣したが敗退。
戦後は称名寺や弁天台場で謹慎となり、明治3年(1870年)4月に赦免。
当初仙台藩は荒井ら脱走藩士達の帰藩を望まない姿勢を取っていたが、7月には帰国を許された。
後に郵便局長などを務めた。
明治39年(1906年)8月25日没。
享年75歳。