杉の下墓地

   

喜多方市熊倉町熊倉字柳内周辺  地図

佐藤銀十郎墓 小栗上野介家来。
上野権田村出身。
小栗歩兵の一人で築地講武所でフランス式陸軍の訓練を受ける。
小栗上野介が権田村に移って3日目に暴徒に襲われたとき、機敏な活躍をして中小姓格に取り立てられる。
戊辰戦争中、朱雀四番町野隊附属誠志隊に属して各地に転戦。
明治元年9月11日会津熊倉で戦死。
21歳。
中根米七墓 会津藩。
太子流の剣術に優れ、鳥羽・伏見の戦いや会津戦争を経て越後高田藩で謹慎。
明治9年(1876年)の思案橋事件に連座、逃走して京都の実弟・又八のもとに潜伏。
西郷軍に与したとも伝えられるが不詳。
のち、密かに会津へ戻り友人の飯河小膳、金田百助と接触を持つ。
巡査野村唯三郎らが逮捕に向かったが明治11年(1878年)8月23日、耶麻郡熊倉村杉ノ下墓地で自刃。
享年59歳。