多賀神社

   

名取市高柳字下西50  地図

増田繁幸頌徳碑 仙台藩。
通称歴治。
着坐。
400石。
明治元年1月、会津征討をめぐり「会津に同情することは仙台藩の運命を左右することになる」と主張し、表向きは勅命に従いながら和平策に奔走し、奥羽鎮撫副総督醍醐忠敬に会津の降伏謝罪を受け入れるよう説いたが、直後に世良修蔵の殺害により、全面戦争に突入した。
7月15日の白河戦争で、坂 英力の下、前線で指揮をとったが敗退。
戦後は若年寄に抜擢されて敗戦処理の中心となったが、仙台騒擾を引き起こした人物の一人でもあった。
仙台藩大参事、一関県参事、水沢県令、磐井県権令を歴任、第七十七国立銀行を創設し、その後は県会議員、衆議院議員、貴族院議員を歴任した。
明治29年(1896年)3月14日没。
享年71歳。