富川土塁跡

   

北斗市館野23周辺  地図

富川土塁跡 西軍の反撃から五稜郭を守る矢不来台場と二股台場を結ぶ最重要防衛線が設けられ、富川土塁は矢不来台場の後方の守備と、陸路から来る西軍の遮断のため築造された。
約200メートルの二重の土塁を持つ堅固な陣地であったが背面の箱館湾に面しては無防備であった。
明治2年4月29日、矢不来台場が艦砲射撃で陥落した時、守備隊は富川土塁に留まることなく一気に有川・七重浜へ後退した。
一時青森へ非難していた西軍の清水谷公考総督は富川土塁跡に作戦司令部として「有川会議所」を移し、5月11日箱館総攻撃の作戦指揮をとったといわれている。