萬福寺

   

鶴岡市睦町3-38  地図

和田東蔵墓 庄内藩。
文政9年(1826年)生まれ。
弘化4年(1847年)藩主忠器の十一男忠意の槍術稽古の相手をつとめる。
嘉永6年(1853年)家督を継ぎ、忠意の御付小姓を経て、安政6年(1859年)忠意が長瀞藩米津家へ入嗣の際、これに従い、長瀞藩の近習目付となり小納戸役を兼ねた。
慶応元年(1865年)新徴組取締役に任じられた。
戊辰戦争時、新徴組半隊頭として肘折口や小名部口に出陣した。
明治5年(1872年)戊辰戦争に関する史料の取り調べを命ぜられ、各隊の日記などを収集する。
公職を退いた後に本格的な調査・編集に入り、4年の歳月を費やして明治28年(1895年)に『戊辰庄内戦争録』の刊行をみた。
明治38年(1905年)2月20日没。
享年80歳。