常念寺

   

宇都宮市花房1丁目6-20  地図

彰義隊數士之墓 寺伝によれば、明治27年(1894年)に旧宇都宮城南館の地に池上町の貸座敷が移転して来た際、そこにあった墓石を同寺に移したという。
墓の左側面には、「明治七年四月角田氏、登坂氏建之」、右側面には表面が剥落して読みにくいが、「数士の姓名は詳らかならず。戊辰の夏、この地に戦死す。里人これを埋む。七年、敵のために碑を建つ。何となれば恨みを改め、幽魂を慰めんためなり」の文言が刻まれている。
戦闘直後、地元民によって仮埋葬され、明治7年(1874年)に碑が建てられたことがわかる。
なお、彰義隊の名が使われているが、宇都宮戦争時に同隊の存在を『復古記』等では確認できない。
上野彰義隊戦争は5月15日のことであるから、この隊ではなく、2月に結成された彰義隊が間もなく二派に分裂した際、その一部が大鳥軍に合流したのかも知れない。