山田合戦跡

   

由利本荘市山本字下野55-1周辺  地図

山田合戦之跡 明治元年7月25日、庄内藩が百宅口から攻め込み虚を突かれた矢島城は落城した。
この報に驚いた秋田藩は、応援に来ていた弘前藩・成田求馬隊に秋田藩槍隊を配して、急遽平沢から矢島口に回した。
8月5日、成田隊と庄内藩が衝突し、小競り合いをした玉坂口、上条、大台、それに最も斬り合いの激しかった当時の山田村油畑での渡り合いにより、弘前・秋田連合軍が敗れた戦いを総称して「山田合戦」という。
弘前藩8名、秋田藩6名の戦死者を出した。庄内藩は不明。
遺体はここに埋葬したが、隊長成田求馬の遺体だけは、庄内藩の本陣となっていた矢島の広祐寺まで運ばれた。
成田求馬忠魂碑 弘前藩。
200石。
目付役から先手足軽頭。
明治元年中隊司令士。
8月5日羽後吉沢村へ進み、西滝村山本で戦死。
30歳。
贈従五位。
官軍矢島口戦死 明治元年8月5日の戦闘で戦死した、弘前藩8名・秋田藩6名の名が刻まれている。

官軍矢島口戦死者
西軍兵士墓 上記の14名のうち、誰かの墓と思われる。