安塚

   

壬生町大字安塚周辺  地図

戊辰役戦死之碑(初代) 明治元年4月22日の戦死者の慰霊碑。
両軍合わせて約90名の戦死者を出した壮絶な戦闘であったが故に、直後は屍が彼処に散在した。
安塚村の農民木村卯之吉は遺棄された屍体を取り集め、34体の遺体を懇ろに葬り、石碑を建てた。
しかし、これは政府の許可を必要としたため、県へ建碑申請の必要があった。
「安塚村での戦争の節、官軍とも賊軍とも判明できぬ死骸があって、それを合葬する」ことを理由にしたが、こう書かなければ許可が下りなかったからで、34体はすべて東軍兵士であった。
許可がいつ下りたかは不明であるが、明治6年(1873年)5月には石碑の存在を県が認めているから、少なくともそれ以前であったことは確かだ。
明治13年(1880年)同村の農民大久保菊十郎が地元有志とはかって改葬し、安昌寺住職を導師として新しい碑を建てた。
戊辰役戦死之碑(二代目)
戊辰役三志士墓 国吉栄之進・・・土佐藩。香美郡富家村の郷士。迅衝二番隊。明治元年4月22日下野安塚で戦死。26歳。
武市権兵衛・・・土佐藩。足軽。迅衝六番隊。城下北新町住。明治元年4月22日下野安塚で戦死。22歳。
半田擢吉・・・土佐藩。組外。迅衝一番隊。土佐郡秦泉寺村の人。明治元年4月22日下野安塚で戦死。25歳。