横手城跡

   

横手市城山町29-1  地図

戊辰戦死碑 明治元年8月10日、後退を繰り返す総督府軍は、強力な同盟軍に圧迫され横手撤退を開始した。
だが横手城代戸村大学はこれを拒否、籠城戦を決意する。
8月11日朝、同盟軍約3000が横手に集結した。
戸村大学籠城の情報を得ていた庄内軍第一大隊隊長松平甚三郎、第二大隊隊長酒井吉之丞は使者を送り投降を勧告したが、大学は返書も出さず、黙して投降は拒絶した。
午後まで待っても城からの返答はなく、同盟軍はついに総攻撃を開始した。
200名ほどの籠城兵は、同盟軍をたじろがせるほどの善戦を見せたが、たちまち城内の建物は炎に包まれた。
大学は死を決したが、家臣に諌められ、退路を求めて仙台藩兵の隊列に突入、白刃を振るいながら駆け抜け、かろうじて脱出に成功した。
籠城兵の戦死者は23名、負傷してのちに死亡したのが2名である。
落城の翌日、城内に入った庄内軍は、遺棄されている籠城兵の亡骸を集め、戸村氏の菩提寺龍昌院に丁重に葬った。
籠城兵の勇戦に感動して、武士道精神をもって戦死者の霊に報いたのであった。