米沢城跡

   

米沢市丸の内1丁目4-13  地図

招魂碑 戊辰戦争で主に新潟方面で西軍と激戦の末に戦死した米沢藩士280余名と、西南戦争の戦死者52名を慰霊するために、明治11年(1878年)4月に建てられた。
その後、日清・日露戦争で戦死した将兵の霊も合祀されている。
この場所は米沢城本丸の東南隅にあたり、藩祖上杉謙信の遺骸を安置した御堂があったところである。
碑名は戊辰戦争に従軍して参謀を努めた斎藤篤信(後の山形県師範学校初代校長)が、稲穂の芯を束ねた特製の大筆で書いたものである。
色部長門追念碑 米沢藩。
1666石。
家老格。
明治元年5月藩軍総督として新潟に拠り、7月29日西軍の攻撃に寄居浜金鉢山で自刃。
44歳。