湯川町

   

会津若松市湯川町3-45  地図

秋月悌次郎生誕之地 会津藩。
文政7年(1824年)7月2日丸山胤道の二男として生まれ、丸山家の家督は長男の胤昌が継ぎ、悌次郎は別家として秋月姓を称する。
秀才として知られ、天保13年(1842年)に江戸に遊学し、私塾や昌平坂学問所などで学ぶ。
藩主・松平容保が京都守護職に任命されると公用方として、薩摩藩士・高崎正風らと八月十八日の政変を起こし、実質的指導者として活躍したが、後に佐幕派の反対を受け、慶応元年(1865年)には左遷され、蝦夷地代官となる。
戊辰戦争では軍事奉行添役として各地に出陣。降伏の際には手代木勝任とともに米沢藩へ赴き、その協力を得て西軍首脳へ降伏を申し出た。
戦後は猪苗代において謹慎し、終身禁固刑となるが、明治5年(1872年)に特赦によって赦免され、同年、新政府に左院省議として出仕し、第五高等学校(熊本大学の前身)など各地の学校で教師となる。
明治33年(1900年)1月5日没。
享年75歳。