悠久山公園

   

長岡市御山町80-5周辺  地図

河井継之助碑 長岡藩。
120石。
家老。
藩財政、軍制を改革。
明治元年中立を主張したが、東山道軍監岩村精一郎に峻拒されて成らず。
止むなく抗戦、7月25日越後長岡城下で傷、8月16日会津大沼郡塩沢村で死。
42歳。
その場で荼毘にふされ、従僕の松蔵によって遺体は若松の建福寺に埋葬されたが、西軍が墓を暴いたところ、棺からは石や砂が出てきただけであった。
松蔵は西軍に発見されることを恐れ、墓標をダミーとして遺骨を山中の松の下に埋めておき、戦火が収まってから、密かに掘り出して長岡の栄涼寺に葬った。
三島君碑 長岡藩、三島憶二郎の顕彰碑。
文政8年(1825年)長岡藩士伊丹市左衛門の次男として長岡城下に生まれる。
弘化元年(1844年)長岡藩士川島徳兵衛の養子となる。
戊辰戦争では当初は開戦に反対していたが、河井継之助の説得に同意、軍事掛となり奮戦し、八丁沖からの長岡城奪還戦にも参加している。
戦後は三島億二郎と改名し、長岡藩大参事となり、明治3年(1870年)には柏崎藩大参事に任命された。
その後は士族授産や北海道開拓に尽力した。
明治25年(1892年)3月25日没。
享年68歳。
昭和2年(1927年)10月建立。