禅燈寺

   

木古内町字鶴岡103  地図

松本十郎碑 庄内藩。
天保10年(1839年)近習頭取戸田文之助の長子として鶴岡に生まれる。
文久3年(1863年)父に従って蝦夷地西海岸に警衛士として赴任する。
慶応3年帰郷し江戸市中取締の任につく。
戊辰戦争時は機事係として各藩に使いし、新庄攻撃には二番大隊に属して参戦。
戦後は松本十郎と名を変え戦後処理の為、新政府要人と交渉にあたる。
明治2年新政府より推挙され、北海道開拓判官、ついで大判官となり、北海道開発初期の行政の基礎を築き名判官と称された。
アイヌを愛しアツシ(アイヌの着物)を着て巡視にあたり、アツシ判官として道民にも深く慕われた。
明治9年(1876年)アイヌ保護政策を主張したが容れられず、自ら職を辞して鶴岡に帰郷し、その後は要職に推されても就かず、ひたすら読書、農芸に勤しんだ。
大正5年(1916年)11月27日没。
享年78歳。