赤坂山古戦場

   

阿賀野市草水103乙周辺  地図

赤坂山古戦場 明治元年7月25日早朝、西軍は新潟太夫浜に上陸し、27日に笹岡・水原で激闘が行われ、後退した会津藩萱野右兵衛隊は赤坂山に台場を築き布陣した。
8月1日早暁、西軍(新発田藩、福井藩、明石藩、長州藩、広島藩、薩摩藩)が進攻し、壮絶な戦いとなり両軍合わせて、死傷者40数名、会津藩は小松へ退却した。
後方の赤坂山の台場には会津藩清水七郎、順動丸の船手等25人で戦ったが、負傷者1名を残し24名が戦死。
戦場は宝珠山、小松、東蒲原へと移動したが、戦場となった六野瀬、草水、小松は兵火で家財を失い、村人は会津まで人足として動員された。
西軍の人足に駆り出された六野瀬の人々が、砦跡の遺体を「会津のやつらは」と言いながら、崖から投げ捨て、阿賀野川に流した記録がある。
前日会津藩が、彼らの家を焼き払ったのを恨んでの所業であった。