喜多方市熱塩加納町熱塩字熱塩甲795 地図
瓜生岩子墓 | 文政2年(1829年)2月15日生まれ。 戊辰戦争の際、目の前で傷に苦しんでいる人を捨ておけず、敵味方の区別無く負傷者の救援活動を行ない、飢えた人には粥をふるまい、家を失った人にも救いの手を差し伸べた。 戦後、戦災孤児となった子供たちのために幼学校を設立すべく奔走し、その熱意に折れた民政局が小田付に幼学校を開設することを許可、明治2年に実現している。 その後も岩子の貧困者や孤児に対する救援活動はやむことが無く、明治19年(1886年)には福島長楽寺住職の依頼で福島に移住、堕胎防止や行旅病者の収容保護、貧困家庭児童の救助などに取組み、明治21年(1888年)の磐梯山噴火の際には死傷者の慰霊・救済、罹災者の救援活動に奔走、明治22年(1889年)には長年設立を請願していた孤児や貧しい人を収容する施設「福島救育所」の開設を実現させた。 明治30年(1897年)没。 享年69歳。 |