萩市大字椿青海4132 地図
李家内蔵介墓 | 長州藩。 内蔵太とも。 整武隊補助長官。 明治元年蝦夷征戦中罹病。 12月25日青森病院で死。 19歳(21歳とも)。 |
奥平謙輔墓 | 長州藩。 天保12年(1841年)2月12日に長州藩士・奥平清兵衛の五男として生まれる。 文久3年(1863年)の下関戦争では先鋒隊士として参加。 慶応2年(1866年)干城隊に配属される。 戊辰戦争では干城隊の参謀として転戦、その際、友人の会津藩士・秋月悌次郎に宛てた手紙は名文として知られる。また秋月から会津藩の少年2人を書生として預かったが、一人は後に東京帝国大学総長となった山川健次郎で、もう一人は陸軍近衛師団の工兵大隊長を務めた小川 亮である。 明治2年に越後府権判事として佐渡に赴任するが、同年8月には職を辞している。 郷里に戻ってからは攘夷論を説き、新政府の方針に不満を募らせる。 明治9年(1876年)には前原一誠を盟主に萩の乱を起こしたが敗走し、12月3日に斬首となった。 享年36歳。 |