田上寺

   

岡山市北区足守599  地図

禰屋庸夫墓 足守藩。
明治元年足守藩隊長として越後戦線へ出征。
明治2年に足守藩少参事。
明治4年(1871年)には足守県少参事から小田県少属。
明治12年(1879年)第一回岡山県議会議員に当選。
明治13年(1880年)永禄社(のちの足守銀行)副社長に就任。
同年岡山県議会議員に当選すると議長に就任して明治15年(1882年)まで務めた。
明治37年(1904年)10月30日没。
安富才助墓 新選組。
足守藩出身。
元治元年(1864年)10月に新選組に入隊。
会計方のち馬術師範となる。
甲州勝沼の戦い以後は土方歳三と別行動を取ったが、会津で合流し、隊長の斎藤 一に次ぐ副長役を務めている。
その後蝦夷地へ渡り、新選組と離れ、陸軍奉行並に就任した土方歳三の直属の部下となった。
箱館戦争で土方が戦死し、それを看取った才助は、土方家宛の手紙を書いて立川主税に託した。
明治3年(1870年)に放免され、元御陵衛士の阿部十郎に殺害されたと伝わっていたが、近年この墓が発見され、そこには明治6年(1873年)5月28日没と記されている。
足守藩の資料によれば、新政府の命で足守に護送され、そのまま兄の元で謹慎生活を送ったとされている。
足守護送後は帰農を命じられ、生涯にわたって帯刀は認められなかった。