円光寺

   

盛岡市南大通3丁目11-49  地図

江釣子源吉墓 盛岡藩。
御徒目付。
戸田一心流で、盛岡藩随一の使い手と言われ、戊辰戦争で活躍。
楢山佐渡切腹の際には不本意ながらも介錯人を務めた。
執行後数ヶ月間、まったくの放心状態となり、家人はひとときも目を離せなかったと伝わる。毎夜のように大杯で酒を呑み、「御家老、拙者もすぐにお側に参ります」と言っては、刀を持ち出す有様であったという。
ようやく落ち着き、通常の生活に戻った源吉は、そのころ再開した藩校「作人館」の剣道師範となり、子弟の育成に当たった。その後は、盛岡にできた監獄署に勤務した。
源吉は剣のみでなく、柔術や居合術など武芸十八般に通じた達人だった。
晩年は、しきりに楢山の墓参をしていたという。
大正2年(1913年)6月19日没。